聖 悠紀 作品買取
聖悠紀作品の買取を強化中!
聖悠紀のプロフィールや代表作品、買取参考価格や買取事例を紹介しています。
プロフィール紹介
生年月日:1949年(昭和24年)12月21日
出身地:新潟県
1949年(昭和24)12月21日ー2022年(令和4年)10月30日 新潟県出身
漫画家
SF作品を中心に執筆していた漫画家で、代表作に『超人ロック』があります。
聖悠紀は、1949年に新潟県新発田市で生まれました。
小学生時代は三条市や新潟市など新潟県内を転々としますが、中学3年生で愛知県名古屋市に転居します。
高校生の頃に、石ノ森章太郎の『マンガ家入門』を読んだことがきっかけとなり、漫画を描くようになります。
2年生の時に貸本屋で借りた雑誌『ボーイズライフ』に掲載されていた漫画同人グループ「作画グループ」の会員募集を見て会員になり、1967年にグループの同人誌に送った作品で、のちの代表作『超人ロック』の1作目『ニンバスと負の世界』で会員の注目を集めました。
大学進学後は、学業の傍ら漫画に没頭し、休みには当時大阪にあった作画グループの本部に泊まり込んで漫画漬けの生活を送りました。
1970年に『超人ロック』の第3作『ジュナンの子』が、貸本漫画向けに刊行を始めた『作画グループシリーズ』に収録され全国規模のファンを獲得します。
1971年には、肉筆回覧誌に収録された『超人ロック』の第2作『この宇宙に愛を』が編集者の目に止まり、小学館の『別冊少女コミック』にて『うちの兄貴』で商業デビューを果たし、少女漫画家として活動するようになります。
1973年に上京し、1974年に『超人ロック』の第4作『コズミックゲーム』を発表し、この作品で活動の場を少女漫画から特撮やアニメのコミカライズの分野に移し、アニメのキャラクターデザインなども手掛けました。
1977年には、雑誌『月刊OUT』にて『超人ロック』の特集が組まれ、同誌の別冊『ランデヴー』でシリーズ初の商業連載され、以後は少年漫画誌を中心に活動を続けました。
1994年から2007年にかけて、『超人ロック』の新作とともに初期作品のリメイクなど精力的に活動し、2020年にパーキンソン病で闘病中であることを公表後も連載を続けましたが、2022年に72歳で亡くなりました。
『超人ロック』は、いくつかの謎や設定についての詳細が不明のまま絶筆となりましたが、2023年4月に日本漫画家協会賞文部科学大臣賞を受賞し、2024年2月には第44回日本SF大賞功績賞を受賞しています。
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聖悠紀 関連作品買取価格
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聖悠紀 関連作品買取事例
少しでも高く売るには?
聖悠紀の本を少しでも高く売るためのポイントご紹介!
ちょっとしたことで買取金額査定アップにつながります。
- 売りたい本の高く売れるタイミングを見極める!
- 本の買取のご依頼は、年末の大掃除や、3月・4月など新生活に向けた引っ越しの時期が最も多くなります。そのため、この時期は市場に多くの古本が出回り、同じ本でも買取価格が下がってしまうこともあります。
できれば、多くの本が売られる時期を外して売った方が聖悠紀の本が高く売れる可能性も上がると思います。 - 表紙カバーや函も一緒に!
- カバーなどに欠損のある本でもしっかり査定させて頂きますが、やはり完品の商品に比べると多少お安くなります。また、年代の古い書籍になってくると、帯の有無でも査定価格が大きく変動するものもあります。
- シリーズものや関連商品は揃えて売る!
- 商品によって千差万別ですが、シリーズなどの揃っている本だと高値になることが多いです。また、日本国内での需要がある書籍だと高価査定になりやすい傾向があります。
2つの買取方法をご用意
費用負担0円の出張買取と全国対応の宅配買取に対応しています!
その場で即現金化! 出張買取
お客様とお約束した日時にみつばち書店のスタッフがお伺いし、その場で査定、その場で現金買取致します。
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お売りになりたい本を宅配便で着払いで送るだけ。到着後、すぐに査定し、買取金額をお振込み致します。
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